ミーハーの愚行と"彼ら"

思ったこと、感じたこと、やり場のない想いをつらつらと書き連ねたかっただけのものです。

Love Myself

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Love Myselfっていったい、なんだろう。

"自分自身"って誰だろう、

自分の好きなところってどこだろう、

自分を好きになるって、なんだろう。







今日、ウリバンタンから新たなメッセージが更新された。


https://twitter.com/bts_twt/status/1376712834269159425?s=21


要約すると、アジア人として見た目で差別された経験は耐え難い苦しみであった、今こそアジア人差別をなくすべきであるというメッセージだった。


私は正直、この表明に戸惑ってしまっていた。その後の日本での反応が手にとるように予測できてしまったからである。


というのも、私は今まで彼らに対する批判やアンチに興味関心はなかったもののどんな凄惨な叩かれ方をしていたのかを知っていた。実際、当時の私は彼らを肯定も否定もしなかったが彼らに一定数のアンチがつくのはお国柄上致し方ないことだとも思っていた。

そんな無関心だった私が例の事件が報道されたときは、彼らに対して反感を持ったし怒りを覚えた。無関心だった彼らに不快感を感じ許せないと思うほどの激情を持つ自分に驚きもした。

しかし、今の私はどうだろう。彼らを嫌うどころか彼らの全てに魅力を感じ彼らの姿に胸をときめかせてキラキラした世界を彼らを通じて見ている。今や彼らは私の人生の一部になり心のリソースの大半を占めてしまっている。

私はどちらの自分も自分であることを理解しきれないでいた。

"彼らを嫌いだ"と思っていた自分は過去にしっかり存在し、今彼らを好いている自分を妙なプライドで卑下してしまう。

一時期、本当に嫌いだと思っていた彼らを私がすきになってもいいのか?それは彼らに対して失礼なことではないのか?私のポリシーに反するのではないか?そのようなことを考えもした。これは私の勝手なご都合妄想だけれどぶいさんはこんな私をも受け入れてくれる気がした。"昨日よりもっと、明日より少なく、愛します"と言う彼に短期間で幾度となく救われた。こんな私でもARMYを名乗っていいのだと言ってくれるような気がした。ぶいさんは人を愛し、人に愛される人だ。どうか彼のこれからの人生もそうであってほしいと願わずにはいられず、純朴で真っ直ぐな君を尊重したいと強く思ってしまうのである。そういった少し脱線したことを考えているうちに結論が出たような気がした。


彼らが苦手だった過去の自分も、彼らを愛している現在の自分もどちらも紛うことなき私自身である、と。

そして、現在を生きている私が本物の"私"であり、"現在の私"が思うまま行動することこそが"Love Myself"ではないか、と。

現在の私は彼と彼らを愛することをやめられない。そして彼らを愛する私自身を私は否定することはできないのである。


そう考えるとなんだか、自分に正直であれるような気がした。


そんな矢先の声明だった。私は将来、留学を視野に入れているため、留学経験のある方のブログを読んだり、直接お話ししたりする機会を頂いているがやはり欧米でのアジア人差別はそう簡単に拭えるものではないと話を聞いて感じることがあった。そんなアジア人の中での"トップスター"の1人である彼らが行動に移してくれたこと、同じアジア人として、彼らのファンとして誇らしく思った。


ただ、世間はそうではなかった。彼らの声明があっという間に世界中に拡散され、日本のTwitterトレンドを席巻し、日本語訳が出るや否や、そのツイートに対するリプ欄、引用リツイートでの批評が始まった。



正直、見る気にはなれなかった。私はメンタルが強い方ではなく、私にとって特別な存在になった彼らを否定する文章を見て落ち込まない自信がないからだ。


しかし、人間の好奇心とは恐ろしいもので一度開いてしまってからは止まらなかった。"どの口が"、"原爆少年団"など彼らを拒絶し、揶揄する声がそこら中から聞こえてきた。耐えられなかった。中にはARMYに対する軽蔑もあった。"日本人じゃないのかな?(笑)"などと、言ってしまえば言われ放題だった。自分で見たのにも関わらず被害者ヅラをするな、きっとこういわれるだろう。間違いなく。

どうして、人はお互いに傷つけあってしまうんだろう、例の件を風化させてはいけない、許してはいけない、それを当然だと思う自分と、私のすきな人を攻撃してほしくない、どうかやめてくれ、関わらないでくれ、と心から思ってしまう自分、なにが本心でなにを自分にして生きていけばいいのかわからない。私がARMYを名乗ることは恥ずかしいことなのかな?、日本から出ていけといわれるほどなのかな?、どうしてそう言われるのかな?

例の件がなくとも彼らや彼らの祖国が嫌いな人たちはなにかとネタを掴んで批判してくるだろう、そんな人たちに叩く材料を与えてしまったことを酷く悔しいと思った、あの一件がなければ今頃彼らは賞賛に包まれているのかな、とありもしないことを考えもした。

みんなは、どう思っているんだろう、ネットアカウントを覗いて見た、そこに広がっていたのはたりょらの彼らのかわいい映像ばかりだった。やっぱり彼らのことを愛さずにはいられないと思った。でも、この感情を抱いてるのは私だけなのかなと人がたくさんいるTLの中で孤独感を同時に感じた。なんとなく、私たちはARMYとしてこの件に首を突っ込むことは自分のメンタルを攻撃するようなものだと知っている気がした。それについて言及することはどことなく"タブー"であるような気もした。


私はこれからもまた彼らの一挙一動に感謝し、喜び、悲しみを感じていくのだろうと思う。やっぱり好きな人が嫌われているところを目の当たりにして平気なはずがないのだ。自分自身を否定することになってしまう行動を容認しこのままの自分を愛せるまでかなりの時間がかかるだろうと思っている。


だが、彼らはワールドワイドスターである。彼らを批判する以上に彼らを応援する人がいるのである。彼らがしたことを忘れるわけではない、不快感を感じた自分を消し去るわけではない、そんな痛みを抱えながら彼らを愛していく覚悟を決めなければと思ったときに世界中にARMYさんが存在するという事実は私を後押ししてくれたと思う。


ARMYの皆さんはみんなこの苦悩を感じているのだろうか、乗り越えたのだろうか。

聞きやすい質問でもなくきっとずっと心にしまって鍵を頑丈にかけておく疑問なのだろうけど、この孤独感をもつ等身大の私でぶいさんを愛せたら素直に素敵だなと思った。


そして、彼らに残酷な言葉が届かないようにも祈りたいと思う。正当な批判ではなく容姿を貶し、バカにする発言をどうか彼の瞳が捉えませんように。そう思っている。


この世に神様がいるのならどうか、ぶいさんに、彼に、残酷な言葉が届きませんように、それよりも先に溢れて抱えきれない私の彼への愛が目一杯彼に伝わりますように。ぶいさんがこれからも健康で愛されて"しあわせなひと"になれますように、どうか、お祈り申し上げます。

あとがき


その名前を出すのはなんとなく気が向かなかったのでTシャツの件のことを文中では"例の件"と表しておりますが筆者の都合です、ご了承ください。

もちろん例の件のみならずいろいろなことが積み重なった末の批評だと理解しております、私にとって最も衝撃的だったことのみを文中では出しています。



さて、今回もお読みいただきありがとうございました。

前回以上にまとまらない文章に試行錯誤しながらできるだけ今の自分の感情を余すこと、隠すことなく記しておこうと思い、長々と書きましたが、文章として成立していなかったら申し訳ありません。


私はしばらく"Love Myself"について考え模索し続けると思います。

ただ、彼らは

You can't stop me lovin' myselfを高らかに歌うことのできるグループです。

きっと、彼らのことを信じて、ついていくことが幸せにつながると願っています。


テヒョンさんのしあわせが私の幸せです。

だいすきです、ぼらへ💜